「新60代女子」人生に悔いなし

幾つになっても、ワクワクする気持ちを忘れないでいようと思う。

1995 1.17の事。

昨夜発生した、新潟県村上市、震度6強の地震。

さぞかし大きな不安を感じられた事だと思います。


私も1995年1月17日、阪神淡路大震災を

経験している。

当時、私達は、43号線が崩れ落ちた直ぐ近くに

住んでいて、近辺は想像を絶する程の被害をうけた。


タンスが私達が寝ているベッドの上に倒れて来て、

幸いにベッドの上の部分が、クッションになり

直接あたることは免れた。

朝6時前、慌てて主人と、避難所に指定されている

学校に向かった。


とにかく、動揺していたので、上着を羽織る余裕も無く、パジャマ1枚で飛び出してしまって、

その時、主人が自分の上着を私に掛けてくれた事を

覚えている。


我が家の前のお家は、2階が崩れて子供が下敷きになってしまった。救急隊の到着を待つ事なく、

近所の人達で、瓦礫を掻き出し、救出作業に懸命だった。



交通手段は、全て遮断されている中、

両親が、電車が動いている尼崎以降を

歩いて芦屋まで来てくれた。

電話がなかなか繋がらなかったが、

その日夜には、

二人とも元気でいる事を連絡出来ていた。

でも、両親は二人の顔を見るまでは、

居ても立っても居られないと出てきてくれた。


大渋滞の中、普段なら1時間で来れる所を

10時間程かけて、食料品や水をトラックで

運んで来てくれた妹の旦那さん。


みんなに助けられた。

自分達も出来ることをやった。


優しさで救われる事がある。

優しさで救える事もある。


その気持ち、忘れないで覚えておきたい。