父の終活に並走した日々(その9)
辛いのは、父も私も同じ。
頑張っているのも、父も私も同じ。
今日は、父の退院の日。
病院で3ヵ月過ごしたので、一先ず退院しなければならない。
上の階にある老健に移る事になった。
最初は、この事を、父に話すか、話すとしたら、どう説明するか
とても迷った。
元気になって、家に帰る事を、父は願っているだろうし、
そんな父に老健の話をするのは、心が痛む。
「お父ちゃん、もう肺炎も良くなって、点滴外せたから、場所を変わるね」
自分でも、意味が分からない説明だと思うが、それだけにした。
父がこのまま家に帰っても、母の負担が重く、老々介護は現実問題として無理だ。
父にこうさせてあげたいと思う事と、出来る事のギャップはどうにもならない。
辛いのは、父も私も同じ。
頑張っているのも、父も私も同じ。
お互いに通じあっている事を、信じる様にしよう。と自分に言い聞かせる。
でも、やっぱり涙が出てくる。
父が入院して3ヵ月。そして老健に入所。
実は、最近私は、父のエンディングを意識する様になった。
これまでは、父が死ぬなんて、想像出来なかったし、
まず、そんな事を考えない様にしてきた。
でも、人は誰でも何時かは死んでいく。
私は、毎日、父との別れ、死の受け止め方を、時間をかけながら、
少しずつ、少しずつ学んでいる気がする。
85才の父は、既に平均寿命を超えている。
今日も、生きようとして頑張ってくれている。
時々、「もう、長生きはしたくない」と弱音を吐く事があるけれど、
自分の身体が自由にならない。それ以上に
家族に迷惑をかけたくない気持ちが強いんだと思う。
いつまでも、どんな時も、家族思いの父。
父の手を取り、摩っている時間、父の体温が私に伝わり、
私は父から、優しさと、勇気を貰っている。そんな気持ちになる。
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